Ⅰ.成功まで(1960-65年)
ペルケ PERCHE (イタリア語)
信頼 SEI PENSI A ME (イタリア語)
可愛いバンビーナ CARA BAMBINA (イタリア語)
いとしのロジーナ ROSINA (イタリア語)
もし打ち明けられたら SI J'OSAIS (フランス語)
ローレンス LAURENCE (フランス語)
プアー・フール POOR FOOL (英語)
なぜ遅れたの WHY DO YOU COME SO LATE (英語)
アダモはその最初期にフィリップス(ベルギー)/ポリドールで八曲を録音している。このうち1961年5月5日に発表された「ペルケ」と「信頼」はブラッカ(Bracca)が書いたイタリア語の歌詞にアダモが作曲したということになっている(グラモフォンから発売されたシングル盤のライナーによる)。残りの六曲についてはドンフュ(Aimable Donfut)、ゴメス(Nico Gmez)との連名のクレジットになっている他は不明である。「可愛いバンビーナ」から「ローレンス」までの四曲は1962年に二枚のシングル盤としてそれぞれ発売されている1963年にアダモが大成功すると再びこの四曲はスーパー45回転(四曲入り)(4.007)としてフランスのポリドールから再発売になっている。そしてさらに最初の二曲と最後の英語曲二曲が付け足され、25センチ盤(LPH5.016)として発売された。日本では『アダモとアモンの素敵な世界』(モノラル)(ポリドールMP-2166)のA面に収録され後に発売された。
「ペルケ」はアダモの八分の六拍子の原型的なメロディーをもつバラードであると考えられる。しかしながら中間部はまったくアダモらしくない展開をする。(この展開は、一般のロック・コンポーザー的手法である。)これがアダモの作曲であるとするなら、この時点で自分の手法をまったく確立していない若き彼の様子がみてとれるということになる。
「信頼」は「ペルケ」とともに(Bracca-Adamo)というクレジットを持つが、アダモらしいメロディー・ラインは感ぜられない。まだ、ポピュラー音楽界にどう乗り出していくか模索中のものである。歌詞は、異性に積極的な恋の歌で、こちらもアダモらしくはない。
「可愛いバンビーナ」はこれも当時のロックンロール・ブームに迎合したつくりだが、メロディーは明るい中にも多少内省的な響きを持ち、純粋で可愛らしい出来映えである。初期のアダモの作曲である確率は高い。しかし、この曲は歌詞も微妙にアダモ的である。この曲と続く5曲は(Adamo-Dunfut-Gomez)というクレジットになっている。
「いとしのロジーナ」も、後のアダモ作品から考えれば、当時のミュージック・シーン迎合作品以外の何物でもない。曲・歌詞ともに決定的判断材料はない。
「もし、打ち明けられるなら」は哀愁漂うワルツ曲であるがやはり歌詞・曲ともにアダモ的特徴が決定的にみられるものではない。
「ローレンス」は、それに比べるとメロディー・ラインは間違いなくアダモのもので、EMIからのファースト・アルバムのいくつかの曲に聴かれるのと同じ響きがある。一方歌詞はあまりアダモ的ではない。初期のアダモの歌詞は、うだつの上がらない若者としての自分からの呼びかけ・独白的なものがほとんどすべてである。「ローレンス」は、多少高飛車な視点を持ち、アダモ的ではない。
「プアー・フール」「なぜ遅れたの」は、英語の歌詞だが、どちらも歌詞・曲ともにアダモらしさは感じられない。といっても、アダモの英語曲はのちのちまで、アダモ的になりきらない部分があるので、謎は謎のままである。いずれも大衆迎合的で、アダモ作品としての価値は低い。
これらの作品は非常に習作的で、おそらくレコード会社側からの無理解な圧力もあってこのような体裁になったのかもしれない。(これは単なる推測だが、同時期にEMIがデビュー直前のビートルズにかけていた圧力を考えると、あって当然と考えられる。)しかし、それにしても興味深いのは、音楽の出来映えがに順位をつけると、フランス語で書かれた二曲が飛び抜けてよく、そしてイタリア語による四曲、そして最低なのが英語による二曲と、きれいに並んでいることである。アダモの中で、作曲家としての才能と詩人としての言語感覚とが、不可分で結びついていることがよくわかる。
アダモの記念すべき第一アルバムである。フランスでは1964年2月13日に発売(FELP259)、日本では71年3月に東芝EMIよりこのかたちで発売された(OP-80167)。「記念すべき」とは単なる飾り言葉ではない。私たちが聴くことができるものだけでも、アダモはこれ以前にアルバムにして約一枚分の曲を録音している。しかしこれらの作品は、レコード会社が異なったり商業的な性格を持っていなかったりという理由で、当初オリジナル・アルバムとして発表されることはなかった。このアルバムのライナー・ノートによると「僕は偉大なるブラッサンスとイエ・イエ族の中間にある」と言ったそうであるが、この発言は彼の才能の本質と、それと対比する当時彼がおかれていたミュージック・シーンの状況、そしてこのアルバムから続く数枚の音楽的状況とをよく示している。アダモ自身はおそらく謙虚に、伝統的フランス・ポピュラー音楽と最新流行ものの中間的存在だと自らを位置づけたのであろう。しかし、この言葉は今となってはそれよりはるかに積極的な意味を持っている。ある音楽マニアにはじめてアダモを聴かせたとき、彼は「この人はフランス人じゃないな」と言ったのを憶えている。真に独自的な才能は、決して文化のひとつの文化形式に当てはまるものではない。その意味でアダモの資質は明らかに当時のフランス音楽文化とは次元の違うものであった。彼は伝統でも流行でもなかった。独立したひとつの宇宙だったのだ。
では、アダモは実際にどうしたのかとうと、彼はそれでも積極的に、当時の玉石混淆(というか実際にはそのほとんどが「石」の方ばかりであった)ミュージック・シーンに乗り出して行く道を選んだのである。野心を持つ若者なら当然の判断だと言われそうだが、実際に己の才能を実感した純粋な若者がこうした荒波に乗り出すことをせずに、自己撞着的なこだわりの中で細々と芸術作品を作る道を選んでしまうという道だって十分にあっただろう。アダモは結果としてこのアルバムによって大衆音楽としての洗礼を受け、数枚のアルバム発表の後には、自分の作品にそれまでなかった力強さ・万人を説得する音楽性を手に入れてゆく。その最初に世間に問うた作品がこの『プルミエ』である。作風全体としては、かけがえのない作品を含みつつも、夢見がちで耽溺的で、また原型的である。
アルバム『我らがアダモの出発/アダモ・プルミエ』
A1.雪が降る TOMBE LA NEIGE
2. 君の名を呼べば CRIER TON NOM
3. サン・トワ・マミー SANS TOI, MA MIE
4. 君にさよならを CAR JE VEUX
5. 失せし恋 AMOUR PERDU
6. さあ、やれ、葬儀人夫 FAIS-TOI CROQUE-MORT
B1.一寸失礼 VOUS PERMETTEZ, MONSIEUR ?
2. 恋はすばらしく N'EST-CE PAS MERVEILLEUX
?
3. ブルージーンと皮ジャンパー EN BLUE
JEANS ET BLOUSON D'CUIR
4. 緑色の瞳の中に DANS LE VERT DE SES YEUX
5. 云わせておけよ LAISSONS DIRE
6. 花を愛す J'AIME UNE FLEUR
第一曲目「雪が降る」は、先に述べた無国籍的な才能の幅広さが生み出した作品で、どうしてこのような曲がシシリー島出身の歌手から生まれたのかということを考えるとき、アダモの才能が決してひとつの文化にとどまるものではないことを示している。アダモ自身、この曲のことをある人が誤って「日本の伝統的な曲」と紹介したことを面白がっているようすである。詩と曲が完全に調和した完成度の高い作品。
二曲目「君の名を呼べば」は若者の嘆き節的個性を持つ情熱的な短調作品で、この傾向のメロディーは後にさらに視野が拡大され、社会風刺的な色彩のものへとつながってゆく。
三曲目 「サン・トワ・マミー」は最初の傑作のひとつで、素朴な音楽だが非常に深くい内容を持つ。夢見がちな性質は完全に昇華され、アダモという作曲家の重要な本質のひとつが浮き彫りにされている。純粋さ・人としての謙虚な感性が言葉を越えてにじみ出ている。この曲も他の歌手によってカバーされることが多く、そのいくつかはこの曲の知名度を上げるのに大変貢献したが、それでも音楽的には、ほとんどこちらがはずかしくなるような内容のものが多い。また、のちに発表されたアルバム『アダモ"ライヴ"74』中のスロー・ヴァージョンのこの曲は、年輪を感じさせる滋味をもったものである。
四曲目「君にさよならを」は、音楽的には二曲目「君の名を呼べば」と同系列の作品。
五曲目「失せし恋」はシチリア民謡調の佳曲で、後に「君を愛す」につながる甘いバラードである。
A面最後「さあ、やれ、葬儀人夫」は、覇気に満ちた作品で、アダモがまだまだ当時のロックンロール風潮に積極的に乗っていこうとしていたそんな様子がみてとれる。この曲はたしかにエレキ・ギターの刻むリズムからしてロックンロール調だが、メロディー全体としては完全に本来のアダモ的なものとして完結している。この種のものとしては成功作に分類されるのだろう。
B面最初の「一寸失礼」も大ヒット作品だが、おどけたコント風の作品で、音楽的にはアダモ作品としては特に際だったところはない。しかし、こうした曲が後のライヴなどで非常にヒューマンな音楽性を再獲得する様をつぶさに聴いている私としては、決して軽んじる気にはなれない。
B面二曲目「恋はすばらしく」は、アダモの当時の作曲への切り口がわかりやすく見て取れる作品で、陶酔的・耽溺的傾向が強い。それでいてこのアルバムの中でもかなり出来の良い方ではないかと思われる。実際の制作順序は逆かもしれないが、これがさらに洗練されたのが「サン・トワ・マミー」だといえるだろう。
「ブルージーンと皮ジャンパー」も一種の流行歌である。アダモ作品のひとつの流れの原型的な性質を持つのか、その後の作品で多少この曲を連想させるメロディーや展開が聴かれることがある。
「緑色の瞳の中に」は、不完全な短調バラードでこの種の作品が成熟するのはもう少し後になる。
「云わせておけよ」は、ロックのリズムを積極的に取り入れた作品で、その意味ではとりあえずうまく仕上がっているが、アダモの資質の一部が無理矢理既成の形式に鋳型に押し込められたような感じがする。歌詞内容も(こういう言い方が許されるのならばだが)アダモらしくない。
最後の「花を愛す」も、初期に多かったアップテンポの短調作品のひとつの典型的形式を踏んでいる。それ以上でもそれ以下でもない
後の作品を私たちが知っているせいもあるが、このファースト・アルバムはアダモ作品としてはまだまだ厚みが足りない。音楽的には特にB面途中から失速する感じさえする。非常に面白いことに、アダモ作品の完成度は少なくとも1980年頃までは、一作ごとに確実に上昇する。前の作品よりも後の作品の方が優れているということは、誠実な芸術家であれば当然のような気がするが、実際にはアップダウンはつきものである。しかしアダモの場合はそれは非常に少ない。そのためこのデビュー・アルバムは彼のオリジナル・アルバムとしては、最も低い出来のものだといえるかもしれない。しかし、それでもこれだけの内容を持っているのである。
『プルミエ』を聴いた後に連続して聴けば、このアルバムが、前作と同じ軌道上にありながらも音楽的に大幅に前進していて、強力になっていることはすぐにわかる。歌詞においても、平易な恋の歌がほとんど全曲を占める『プルミエ』に比べ、こちらでは徐々に人生論・文明批判的な調子が巧みにミックスされてくるようになる。(「バラの花咲くとき」「はかなきこの世」「浜辺の娘」等)。発売は前作と同年1964年の11月12日(FELP276)。日本でこのかたちになるのは1971年3月(OP-80168)である。
その一方でアダモの作曲家としての資質がこのいわゆる当時の「ヒット路線」と大幅に食い違う側面があることを雄弁に語る作品になっているのも事実である。前作よりも良い作品が多い分だけ、失敗作もはっきりしており、アダモの才能の当時のロックンロール・ブームに迎合しない資質をより浮かび上がらせている。
これに比べると、次に解説する”Chansons Non-Commerciales”(商業的でない曲集)または”Chansons de mes 16 ans” (私の16歳の曲集)と名付けられた曲集では、このような彼における音楽才能と音楽様式の間の葛藤・軋轢は感ぜられない。これらは日本では主にアルバム『汽車は行く』に収められているが、各々の作品は素朴なメロディーと同様に生ギター中心の素朴なアレンジが一致していて、アダモの才能のルーツともいうべき音楽的質がみとめられる。結果的に、初期の作品の中で我々が最も忘れることができないのは、こうした「無理のない」作品群であった。
一方このセカンド・アルバムを含むこの頃までの代表作品群は、アダモの初期の代表的ヒット作品を多く含んでいるが、それと同時に自己の表現形式を拡張として既存の音楽形式と激突していた、彼の才能の傷跡のようなものが感じられるのだ。
アルバム『我らがアダモの前進/アダモ・ドゥージェム』
A1. 夜のメロディー LA NUIT
2. どうぞお願い A VOT BON CRUR
3. バラの花咲く時 QUAND LES ROSES
4. はかなきこの世 J'AI PAS D'MANDE LA
VIE
5. 幼な友だち PETIT CAMARADE
6. おじいさんとおばあさん GRAND-PERE…
GRAND-MERE
B1. いとしのパオラ DOLCE PAOLA
2. 浜辺の娘 LES FILLES DU BORD DE MER
3. 彼女 ELLE…
4. 不良少年(ろくでなし) MAUVAIS GARCON
5. もし、いつの日か SI JAMAIS
6.
大きな賭 LE GRAND JEU
一曲目 「夜のメロディー」は、このアルバムの冒頭を飾るにふさわしい情熱と力感に満ちた傑作で、のちの「アンサンブル」等の名作につながる作品群の原型でありながら、非常に完成された作品である。イントロのメロディーから歌いだしまでで既にこの曲の真価はすでに十分に現れている。人間の心の奥底に潜む悪魔的な感性を劇的に表現し、このアーティストが、なにか単純な言葉では言い表せない、非常に強力な気分(=すなわち、それが才能だ!)を持っていることが直感できる。
二曲目「どうぞお願い」はアダモの得意とするコント風の作品。音楽的に特筆すべきものはないが、歌詞とあわせて聴くと楽しめる。
三曲目「バラの花咲く時」は、この頃の作品ならではの夢見がちな作風。ただし最後の二行は後の詩の発展を予測させる批判眼がみられる。しかし、作品内部に向けられた眼は穏やかで愛に満ちている。アダモ作品に独特の批判眼とそれを包み込む愛の両立という特性がここではじめて発揮されている。
四曲目「はかなきこの世」は、彼の人生嘆き節がバランスの取れた歌詞とともに展開される。これも決して悪い作品ではない。オスカー・サンタルのオーケストレーションは効果的で、悩める若者の逼迫した時間の流れを感じさせる。
五曲目「幼な友だち」は、このアルバムから増えてきたなめらかな流れを持つ流麗な作品で、「彼女」と双子的個性を持つ。こちらはメロディーの最初から、創作者のメロディーへの自在性を感じさせる。終わり方は多少唐突でもったいない気がする。
A面最後「おじいさんとおばあさん」はコント風の作品。それ以上でもそれ以下でもない出来映え。
B面一曲目「いとしのパオラ」はアダモの最大のヒット曲のひとつである。アダモがバラード作品でしばしば発揮するとぎれとぎれの語り口調が最大限に活かされた作品で、メロディー自体も非常に豊かで、甘い美しさをもち、この作品でなければないものを含んでいる。前アルバムの「恋はすばらしく」などと比較しても、単に夢見がちな要素は少しずつ減退し、積極的に表現を押し出そうとするエネルギーが増してきている。
B面二曲目は「浜辺の娘」は音楽的には完全に当時の流行歌のいきおいだが、歌詞は批判精神に満ち、それが作品全体の完成度を高めている。
B面三曲目「彼女」はA面五曲目の「幼な友だち」と似通った流れをもつ作品だが、こちらの方がよりスムーズで、完成度が高い。中間部も優れている。エンディングは、メロディーの途中でフェイド・アウトされるといった印象を与える。
B面四曲目「不良少年(ろくでなし)」は初期のコント的作品が非常に高い完成度にいたり、しかも大ヒットとなった例。この曲は多くのシャンソン歌手によって取り上げられているが、しかしこの曲の音楽的価値を再現しているものはめったにない。
B面五曲目「もし、いつの日か」は「バラの花咲くとき」同様、この時期のアダモの非常に夢見がちな性質が表面化した例。ヒットもしたし、アダモ自身も後によく取りあげている。このテイクは多少リズムがのんびりしすぎている。
最後の曲「大きな賭」はこのアルバムの最後を飾るというよりも汚す曲で、このアルバムの評価を決定的に下げる要因になっている。おそらくアダモの全作品の中でももっとも悪趣味で質の劣る作品。特にアレンジがひどい。いったいどうしてしまったのだろう。この最後の曲が、何でもいいからこの曲以外のものであったなら、すべてがかなり違っていただろう。この時期までにフランスで発表された曲でアルバム未収録のものは三曲(「逃したチャンス」「汽車は行く」“J'ETAIS TOUT AUTRE”)あった。これらのどれかを入れたとしてもぴったりくるとはいえないまでも、この曲に比べれば、やむを得なかいと言えるのではないか。
最後の「大きな賭」の失敗度だけをこのセカンド・アルバムの問題点としているわけではない。当時のアダモの芸術家としての資質が、ヒット路線の求めていたものと微妙に食い違い、それが不協和音を奏でる、そんな側面が最も露見してしまっているこの曲を通じて、「浜辺の娘」など他の曲においてもそうした音色が微妙に含まれていることを感ぜずにはいられない。
アルバム『プルミエ』が夢見がちで平易なラヴ・ソング集、『ドゥージェム』が音楽的充実と不調和だとすれば、次のオランピア盤ではさらにメッセージ性が強まる一方で、一時的に音楽的説得力は減退してゆく。これらは、後の作品を知る私たちからみれば、アダモという才能の非常に誠実な歩みであったと感ぜられる。
「汽車は行く~アダモ/隠れたる初期傑作集」(OP-80238)(日本発売1971年6月)
A1「汽車は行く」 LE TRAIN VA
2「ニコール、マリー」NICOLE, MARIE
3「雨のバラード」 BALLADE A LA PLUIE
4「僕の頭」 MA TETE
5「君だけを」 IL N'Y AVAIT QUE TOI
6「僕の部屋」 MA CHAMBRETTE
B1「はかなきこの世」J'AI PAS D'MANDE LA VIE
2「恋人たちのソネット」SONNET POUR NOTRE AMOUR
3「こちらは天国」COMPLAINTE DES ELUS
4「恋よいま一度」TU ME REVIENS
5「美しかつたあの娘」ELLE ETAIT BELLE POURTANT
6「バカンスの太陽」DU SOLEIL, DU BOULOT
7「のがしたチャンス」 J'AI RATE LE COCHE
1966年12月にフランスで”Chansons Non-Commerciales”(商業的でない曲集)というタイトルで発表された曲集は、この年までにスーパー45回転盤で発表された「のがしたチャンス」「汽車は行く」(64年1月)と「雨のバラード」「僕の頭」(64年7月)をのぞけばすべて未発表曲であった。収録曲のアレンジは一貫して生ギターを中心にわずかなエレクトリック楽器を配したもので、これがアダモの音楽的ルーツを感じさせる素朴な哀感のこもった曲集を形成している。この曲集は”Chansons de mes 16 ans” (私の16歳の曲集)というタイトルでも発売されているが、1964年頃の録音作品だと考えられている。この曲集の曲目は次の通り。
CHANSONS NON-COMMERCIALES (QELP8156)
J'AI RATE LE COCHE (のがしたチャンス)
COMPLAINTE D'UN AMOUR MORT (恋の嘆き)
IL N'Y AVAIT QUE TOI(君だけを)
MA CHAMBRETTE(僕の部屋)
C'EST PAS QUE TU SOIS BETE(間抜けじゃない)
MA TETE(僕の頭)
LE BARBU SANS BARBE(ひげのないひげ男(1))
LE TRAIN VA(汽車は行く)
NICOLE, MARIE(ニコール・マリー)
LES MAL AIMES(失意の人)
IL N'EST PAS FOU(のんきな男)
BALLADE A LA PLUIE (雨のバラード)
一聴してわかることだが、このフランス発売のアルバムは単なる曲集であり、トータルアルバムを云々いう以前の問題としての、一個の作品としてのアルバムの個性は十分に形成されていない。アレンジなど同じ時代のもので統一感があるのに、まとまりがないのはおそらくアダモ自身がはっきりとしたアルバム・コンセプトを持たずに若き頃の作品として寄せ集めたからではないだろうか。(このアルバムのCD盤に相当するものはARIOLA EXPRESSより多少曲順を変えて「ALBUM STUDIO NO.3」として現在も発売されている。)
このため、ここでは日本でなじみが深い「汽車は行く」という盤名のアルバムをまず最初に解説したい。この日本盤アルバムは、オリジナルのフランス盤とは大きく異なり、一種のトータルアルバムの個性を示している。このアルバムは1971年にそれまでまだ日本で発売されていなかった1963年から1966年の作品を集めたものだが、編集のコンセプトが大変しっかりしていて、また、黄ばんだレトロ調のアルバム・ジャケットからしてからして過去のムードを漂わせ、これもアルバムのコンセプトをよく伝えている。A面全曲とB面の最後の曲は先述した1964年頃の曲で、B面の一曲目「はかなきこの世」が以前にセカンド・アルバムとして発表された「ドゥージェム」に入っている唯一の重複曲であることを除けば、残りは66年発表の二枚のスーパー45回転盤からとられたものである。選曲はよく考えられていて曲順も良い。聴き手を60年代南欧の世界に誘うように仕組まれている。不思議といえば不思議なのは、この「はかなきこの世」がどうしてここで再登場しているのかということで、曲数もアダモのいつものアルバム曲数より一曲多い13曲となっているところから考えて、編集者の何らかの思い入れからここにこの曲がふさわしいと考えたのではないだろうか。そして実際にこの曲は何の不調和もなくアルバムB面の一曲目におさまっている。(もし純粋に未発表曲をというのなら、結局日本で発表されることのなかった” J'ETAIS TOUT AUTRE”を入れても良かったはずだし、当時他にもスタジオ盤で未発表の曲は多くあったのだ。しかしこうした曲はおそらくこのアルバムにはぴったり来ないだろう。)なにはともあれ、このアルバムはアダモの初期作品の魅力を存分に満喫できる傑作アルバムである。
一曲目「汽車は行く」は、このころのアダモ作品に特徴的な「タッタタ・タッタタ」というリズムではっきりと刻まれてゆく佳曲である。歌詞もシンプルながらアダモの詩才を知るに十分な内容であり、奥深い。この曲はアルバムの一曲目におかれてこそ強力である。最初のキーボードの音からして象徴性に富み、急行というよりも登山列車のような曲調もアダモの剛健な人生観をうかがわせるに十分である。これが、なんとデビューしたての当時のアイドル歌手の作品である。アダモが当初から、芸能歌手である以前に真の意味での芸術家であったことを如述に物語っている。
二曲目「ニコール・マリー」もまた素晴らしい。
Au coin de la rue du cine, habite une jolie
poupee…
(映画館のある街角に可愛い人形が住んでいる・・・)
この素晴らしい歌詞の出だしだけでもアダモの詩才が飛び抜けたものであることは疑う余地がない。抽象的で精神的な感性に裏打ちされた言葉の単純さは、私たちが見たこともないどこかの街の一風景を切り取ってみせる。こうした趣向はこの面最後の「僕の部屋」と同傾向である。この作品も完成度が高い。曲の最後で再びAu coin de la rue du cineという歌詞が登場し、もの哀しいフェイド・アウトは、この小さな物語に最もふさわしい終わり方である。
三曲目の「雨のバラード」はこのアルバム中最もポピュラーな作品で、かなりよく知られている。詠嘆調の歌詞は特に発展的なものではなく、語られる特徴を特に持たない。またアレンジも他の曲ほど簡潔ではない。しかしこれらの要素はこの曲を特に悪くしているというわけではなく、おそらく初めてアダモを聴く人にも受け入れやすい外観をつくっているのだろう。いろいろな意味で標準的な一曲ではないだろうか。
四曲目の「僕の頭」は、後々までアダモがコンサートやスタジオで再録音を繰り返しているところからしても、おそらく本人の好きな作品なのであろう。「ひげのないひげ男」や「逃したチャンス」と同系列の速いテンポの物語口調の作品で、歌詞も音楽も成功している。ただし私などは、さらにメロディアスな「僕の部屋」と比べてしまい、どちらかというとそちらの方をひいきしてしまう。このような作風は、内容的にも構成的にもアダモの芸術家としての青春時代を表すものである。
第五曲目「君だけを」も同系列の佳曲で、このアルバムにあってこそ真価を発揮するといった傾向の作品。歌詞は失望する若者の夢想の世界だが、ちなみに日本文化には、こうした夢想を雄弁に語って許される文化はあまりなく、「甘っちょろい」と馬鹿にする野卑の方が横行している。こうした詩を雄弁に語ることができる文化圏に生まれた芸術家は幸福である。
A面最後の「僕の部屋」は傑作で、音楽はもちろん歌詞の趣味も最高のものである。歌い出しの”Chez amis je presente ma chambrette…”(友よ、僕の部屋を見てくれ)の素晴らしさ。歌詞はもちろんのこと、この歌い出しの暗い雰囲気はアダモの場合、単なる暗いムードに終わらず、曲全体を貫く作品に対する緊張感を示すことになる。こうした趣向の曲は無数にあるが、わかりやすい例をとしては「二つの小石の幻想」や「アンサンブル」があげられる。ギターの音は、限りなく甘美でありながら感情におぼれることはなく、間奏部では聴く者を幻惑するような象徴的展開をする。私個人の趣味では1965年までの彼の作品の中で最も好きな作品である。
B面一曲目の「はかなきこの世」の解説は「ドゥージェム」の項を参照していただきたいが、先にもふれたとおり、この曲はなぜかこの選集によくフィットして、B面のオープニングの役割を果たしている。内容的には普通の出来映えではないだろうか。
二曲目の「恋人たちのソネット」は66年までの作品中の最高傑作。歌詞については、いくつかの部分(たとえば一番最後のフレーズなど)で曲想を強力に支持しているが、それ以上ではない。しかし、曲の音色は他に比べるものがないほどに素晴らしい。最初の歌い出しの直後に背後で小さく流れる装飾音の古色蒼然とした美しさ。もう絶対に戻ることのできない、そしてできないがゆえに限りなく美しい回想の世界。いや、回想どころか私たちはこんな世界を想像で知るだけで本当には体験したことなどないのかもしれない。行ったことのない街の、そのどこかの街角でこんな出会いがあるのだろうか。しかもこれらは「ニコール・マリー」や「僕の部屋」ではまだわずかに見られたほどの感傷すら、完全に作品的に処理されている。私たちは、この作品になんら前提的な思い入れをすることなしに、作品に吸い込まれることができる。この作品は完全に青春の風景を扱っているが、すでに青春の私小説的手法は逸脱している。それが歌詞に回想の形式をとらせたのだということに思い当たるとき、アダモという才能において、いかに歌詞の内実と曲の構造とがイコールで結ばれた知的構造をもっているかということを思い知らされるのである。そして、さらに強烈な効果----最初に奏でられるリズムセクションが曲の最後でアダモの歌が終わった後で驚くほど豊かに眼前によみがえる様は、最初に聴いたときから驚き以外の何物でもなかった。(まさに「うわっ」という効果だ。)それは、恋人たちを運び坂道を下ってゆく路面電車のようでもあり、一人恋を回想する若者の心の調べのようでもある。(このようにヴォーカル・パートが終わった後でイメージが豊かに増大する効果は、アダモの特質の一つで、他にもずっと後の「アリーヌの歌」や「空が君を恋したら」などがあげられるだろう。これについてはいずれ論じたい。)この曲は、他に代わるもののない音色の美しさという点で、初期の隠れた最高傑作である。
続く「こちらは天国」は、歌詞内容は良くできた知的でユーモラスなもので、あたかも「はかなきこの世」のカウンターパートのような存在である。しかしそれよりもずっと無理がなくリラックスしている。曲も戯画的な割には良く書けていて、「60年代の天国」とでもいうべき不思議で明るいムードを持っている。このムードだけでもこの曲の存在価値は高い。
「恋よいま一度」も明るく力強い曲で、充実した内容を持っている。いつものように畳みかけるような歌い出しは、アダモの創作のパターンをよく物語っているし、特に歌詞の”Tu me reviens”からの展開はイタリア的な解放性にあふれ、アダモの才能の特質を良く表している。
「美しかったあの娘」は、アダモによくあるフラれ男の嘆き節だが、曲の豊かさはそれらをはるかに超えて素晴らしい。(別に歌詞が悪いと言っているわけではない。いままでと同じだというだけだ。)最初の生ギターの音色の潤いは、再びこの質感に出会うまでには私たちは1970年発表の「結ばれぬ愛の想い出」まで待たなければならない。アダモに若者の失恋後の夢想を歌った作品は多い。しかしこの曲はその夢のような世界が、今まさにこの時間が流れているという切迫感を持って感じられる傑作である。このような瞬間を私たちは恋をしたとき――その恋がどのようなものであれ――必ず体験している。
「バカンスの太陽」は明るく力強い曲で、耳に残りやすいという点でわかりやすい曲だが、その印象は表面的なものではなく、かなり高い実質を持っている。(一般にこうしたわかりやすいメロディーは目立つだけに時間とともに人の心の中で摩耗しやすいのだが、この曲はそんなことはない。)途中で半音上がる効果もよく計算されていて、作曲家アダモの技術的実力がよくわかる。この時期の作品としては、私は「恋人たちのソネット」に続いてこの曲を高く買っている。
しんがりは「のがしたチャンス」で、「僕の頭」と同系列のアダモ得意の傾向の作品の代表作である。歌詞も良い。B面ではこの曲だけがA面全曲と同時代にレコーディングされた最初期のものである。
ここまでが日本盤アルバム「汽車が行く」収録の作品群である。「プルミエ」と「ドゥージェム」という二枚のアルバム以外の当時の優れた曲を網羅しながら結果的にそれら二枚を上回る作品となった。それは、繰り返し言うようだが、日本盤編集者の力によるところも大きい。
“CHANSONS NON-COMMERCIALES”に含まれる、先記以外の作品(5曲)について
「恋の嘆き」は、朗々と歌い上げる、聞き応えのあるシャンソンで、メロディーは完全にドラマ仕立てになっているのが歌詞抜きで聴いてもはっきりとわかる。しかし、この作品はアルバム「汽車は行く」には収められなかった。これは、この作品が「雨のバラード」や「美しかったあの娘」以上に悲しみを全面に歌い出し過ぎていて、「汽車は行く」というアルバムの持つ、哀愁はあれど明るい色彩感に今ひとつ調和しないと考えられたためではないだろうか。
「間抜けじゃない」は、かろうじて曲になったという感じの非常に軽い曲。特に語ることがない。
「ひげのないひげ男」(1)は、後に四拍子に編曲・再レコーディングされ、ブラス・セクションによるさらに景気の良い作品に仕上がっているが、こちらの素朴なテイクを聴いても、アダモのこだわりと曲の良さは伝わってくる。イントロの生ギターにも独特の音楽的な力がある。
「失意の人」は、ひたひたと心に染みいるように歌われる作品だが、多少不完全燃焼の感があり、しかもコーラス後半部は「ブルー・ジーンと皮ジャンパー」にそっくりである。
「のんきな男」(「彼は馬鹿じゃない」(1))は、アルバム「ひとつぶの涙」で再レコーディングされ、完成度のテイクに生まれ変わるが、ここでは作品の原型的なテイクが聴ける。アレンジの素朴さのためもあるが、それ以上にアダモの歌い方が完全に芸術的な自由さを獲得していない。それが多少退屈さを感じさせる。後のテイクと比べれば、アダモが自己の作品にどのように理解を深めていったかは一目瞭然である。
EMI/東芝時代、アダモは1963年に二枚、1964年に四枚、1965年に三枚のスーパー45回転盤を発表している。これらは四曲組みの曲集で、そのほとんどが日本における通常の二曲組みシングル盤と同じ感覚で、ヒット・チャートに向けて発信されたものである。リストは次のようになる。
1963年
1.4月4日(EA 664/EGF 680)ブルージーンと皮ジャンパー/云わせておけよ/さあ、やれ、葬儀人夫/サン・トワ・マミー
2.9月26日(EGF 666)失せし恋/花を愛す/君の名を呼べば/恋はすばらしく
1964年
1.1月9日(EGF 683)雪が降る/のがしたチャンス/君にさよならを/汽車は行く
2.3月26日(EGF 699)バラの花咲く時/J'ETAIS TOUT AUTRE/もし、いつの日か/はかなきこの世
3.7月23日(EGF 740)一寸失礼/雨のバラード/緑色の瞳の中に/僕の頭
4.10月15日(EGF 757) 浜辺の娘/大きな賭/いとしのパオラ/どうぞお願い
1965
1.2月18日(EGF 800) 夜のメロディー/不良少年(ろくでなし)/彼女/幼な友だち
2.6月 (EGF 827) 夢の中に君がいる/おじいさんとおばあさん/君わが胸に/ひげのないひげ男
3.12月 (EGF 850) 君を愛す/輪のシャンソン/いつでもそうさ/愛する人たち
これらの大抵がLP盤と重複している。これらに含まれていないものは、四曲組みの盤がそれほど主流にならなかった日本においては、二曲組みシングル盤またはベスト盤に収録されることが多かった。それらを紹介したい。
J'ETAIS TOUT AUTRE (日本未発表曲)
この曲は、日本では完全に未発表の曲である。曲は明るく軽快であるが、それ以上でもそれ以下でもない。最初の二枚のEMIのアルバムのどちらに入っていてもおかしくはない内容で、のち中期までの作品群の一派をなす傾向のもの。
夢の中に君がいる MES MAINS SUR TES HANCHES
この作品は1965年までの作品の中でも特に音楽的進歩がみられる作品で、セカンド・アルバムの「幼な友だち」「彼女」と同じ路線の流麗な長調・四拍子の作品である。しかし、たしかに優れた作品である。この傾向は1年半後「ひとつぶの涙」に受け継がれてゆく。
君わが胸に VIEN, MA BRUNE
この作品はアダモの初期における単なる性癖のような作品で、特に取り上げる長所はない。非常に初期作品的なもの。
ひげのないひげ男 LE BARBU SANS BARBE
アダモの初期の若者嘆き節的パターンが積極的なストーリー・テリングの調子を帯びてきた作品である。生ギターと装飾音だけの素朴なテイクでしかも三拍子だった、以前のテイクに比べ、こちらのテイクは、ブラスが積極的に活かされ、音楽もさらに表現の幅を広げている。このような作品(具体的にはこの曲と「のんきな男」=「彼は馬鹿じゃない」の二種類ということになるが)を通して、私たちは、アダモが人気の上でヨーロッパを席巻し、音楽的にも深みを増していくために獲得していった、表現力の拡大の幅のようなものを、みて取ることができるのだ。
君を愛す J'AIME
アダモのウエットな短調のバラードの長所が最大限に発揮された作品のひとつ。
輪のシャンソン CHANSON EN RONDELLES
音楽的に特にみるものはないが、「浜辺の娘」や「ひげのないひげ男」と同系列のストーリー・テラー的個性が前面化した作品で、歌詞とともに楽しめる。
いつでもそうさ COMME TOUJOURSこれは、成功のステップを進んでいたアダモの偽らざる気持ちだろうか。しかしあまりにそのままかつ現実に対する弁明めいていて、詩人としてのアダモらしくない。曲の出来は悪くないが、のんびりしていて歌詞と合っていると考えていいのかどうか分からない。
愛する人たち CEUX QUE J'AIME
これは先述「いつでもそうさ」と好対照かもしれない。というのも、こちらは歌詞が力強く、曲の出来はあまり良くない。「僕は毛並みも良くないし、金もない。けれど愛していればそれで満足だ」という歌詞だが、こうした内容は、71年頃から、彼の美意識内の市民意識として急成長を遂げるものである。
A1.どうぞお願い A VOT BON CRUR
2. 君わが胸に VIENS, MA BRUNE
3. 浜辺の娘 LES FILLES DU BORD DE MER
4. 君を愛す J'AIME
5. 輪のシャンソン CHANSON EN RONDELLES
6. バラの花咲く時 QUAND LES ROSES
B1.夢の中に君がいる MES MAINS SUR TES HANCHES
2. いつでもそうさ COMME TOUJOURS
3. ひげのないひげ男 LE BARBU SANS BARBE
4. 愛する人たち CEUX QUE J'AIME
5. 夜のメロディー LA NUIT
6. 一寸失礼 VOUS PERMETTEZ, MONSIEUR ?
アダモの最初のオランピア作品は、アダモの完全にオリジナルなアルバム作品というよりも、栄光の初オランピアの記録ライヴといった色彩が強い。歌唱とアレンジはスタジオ盤に基本的には忠実でありながらも、観客に呼びかける性質が強い。ときどき強く情熱的に呼びかけすぎそれがサーカスのような軽さを出していて、それが時代の経過を感じさせるという点ではアルバム作品としてはかなり損している。このステージの時点で未発表だった曲は四曲だが、オランピアを新たな作品の発表の場として独自のものにしようとか、後にアルバムとして発表される作品として完成させようとかといった意識は薄い。たしかに、新進の若手アーティストの最初のオランピアにそこまで求めるのは少し酷かもしれない。しかしアダモのオランピア盤は次作からスタジオ盤と同様に大変な発展をすることになるのだから、こういう見方をしてしまうのもやむを得ないことなのだ。曲の完成度は音楽的にスタジオ盤と同等か多少劣っているだけなので、解説はスタジオ盤のところを参照していただきたい。(このアルバムと次の1967年のオランピア盤は全曲スタジオ・テイクがある。)
この音源は、フランスでは1965年9月27日に発表(FELP295)。日本では『オランピア劇場のアダモ』(OP-7473)として1966年4月に発売された後1971年4月に『アダモ、オランピアへ登場』(OP-80193)として再発売されている。
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